2023年に大学・大学院を卒業(見込み)し、新卒で匠弘堂への就職を決めたふたり。
伝統建築の世界に飛び込むにあたって、宮大工を目指したきっかけや匠弘堂との出会い、希望溢れる未来について語っていただきました!

渡部さん(左)・猿渡さん(右)

渡部さん(左)・猿渡さん(右)

【プロフィール】
猿渡さん(写真右):長崎県出身。大学の機械工学学科を経て匠弘堂に入社予定。
渡部さん(写真左):京都府出身。大学院の木質材科学研究室を経て匠弘堂に入社予定。

幼い頃からの憧れ「宮大工」を仕事に

猿渡さん

猿渡さん

――「宮大工」という仕事を知った経緯や目指したきっかけはなんですか?

猿渡:小学生の時にテレビで見たのが最初です。ぼんやりと、伝統建築という世界に興味をもちはじめました。
その後、小学校高学年の時におじさんの古い家を直す機会があって。腐っていた木の床を張り替えたり、汚い壁紙を貼り替えたりペンキを塗ったりして、これが初めての大工仕事だったと思います。
小学生の手仕事だから、今から思うと拙い出来栄えだったのですが、おじさんが喜んでくれたのが嬉しかった。その作業が面白くて、建築の世界への興味を深めていきました。

渡部:僕の実家は京都で、お寺や伝統建築というものが、割と身近な存在にありました。なので宮大工という仕事は物心ついた時から知っていたのかもしれません。転勤族だったのでその後は他県の小学校へ。修学旅行で京都に行ったのですが、幼い頃に住んでいた時とはまた違う、「外の視点からみた京都」が印象的で、いっそう伝統建築に惹かれていったと思います。

――大学の時から宮大工になりたい気持ちはあったのですか?

猿渡:高校の時にはすでに宮大工を志していたんですが、勉強も楽しかったので大学で建築について勉強してから宮大工になろうと思いました。第一希望の大学の建築科は落ちて機械工学になったけど…。就活は匠弘堂以外は受けませんでした。

渡部:僕も就職活動ここしか受けていないんですよ(笑)。建築系って就活始めるのが早くて、修士1年の秋くらいには活動を始める人がいる中で、僕は能天気なタイプなので何もしていませんでした。まわりは大手のゼネコンや設計事務所に行く人が多かったのですが、周りは周りで自分は自分と思っていて。

実際の現場から感じた伝統建築の先輩の存在

――どのようにして匠弘堂を知りましたか?

渡部:インターネットで就職先の会社を調べはじめたときに、匠弘堂のホームページに辿り着きました。「京都 宮大工」で一番上に表示されていたので、わりとすぐに見つけましたね。

猿渡:実を言うと、僕は自分で探していなくて(笑)。研究室の友達が見つけてくれたんですよね。もともと奈良の伝統建築の会社を調べていたんですけど。「こんな会社あったよ、面白そうだよ」と教えてくれました。

――匠弘堂の先輩方の印象はどうでしたか?

渡部:匠弘堂の選考過程のひとつに、「現場体験」があります。僕の場合は3次審査で、5日間をかけて参加させていただきました。初日に稲葉さんに工房の中を案内していただきました。匠弘堂は20-30代の先輩がとても多いので、研究室の先輩と話しているような感じで親しみやすかったことを覚えています。伝統建築というと、いぶし銀の熟練職人さんのイメージがあったので、年齢が近い「お兄さん」がいてくれて安心しました。

猿渡:僕は3日間一緒に作業させてもらって、有馬棟梁山本さん小島さん谷本さんの4人と作業しました。体験を通じてびっくりしたのが、「こんな本格的な作業までさせてもらえるのか」ということです。
見習い未満の就活生。まずは雑用をひたすらがんばるつもりで参加したのですが、鑿(のみ)をつかった作業をさせてもらいました。手摺の柱の穴を木で埋める埋木という作業なのですが、すごく緊張しました。
先輩は常に見守ってくれたり、気にかけて教えてくださって、優しかったです。

宮大工として一歩を踏み出すために、学び続ける

渡部さん

渡部さん

――どんな宮大工になりたいですか?

猿渡:ものづくりに関わる仕事に就くため、作ったものや建物を使ったり見たりする方々に納得してもらえる仕事ができるようになりたいです。
匠弘堂のホームページを拝見し、いい仕事をするためには段取りや準備が大切であるということを学びました。この会社の一員として働くからには、何歳になっても常に学び続け、先を見て行動し周囲に気を配れる人になりたいです。

渡部:この点は僕も同じ気持ちですね。とにかく学び続け、成長し続ける宮大工になりたい。また、伝統技術の継承の一端を担う者として腕を磨くことを怠らず、高い技術を持って「よい」仕事をしたいです。採用の一環として現場体験に伺ったとき、「一つの建物を作るにしても宮大工の仕事は他の職人さんの仕事と密接に関連しており、彼らの仕事まで理解することがより良い仕事につながる。勉強しつくしたなんてことはない。」という話を棟梁の有馬さんから教わりました。
この域に達するには長い時間がかかるかもしれませんが、一日一日をコツコツと積み上げることで理想の宮大工像に近づきたいです。そして、一人前の宮大工になれた暁には宮大工の仕事、技術、魅力などを人に、そして後世に伝えることにも力を注ぎたいと思います。

――1年後の自分へのメッセージをお願いします!

猿渡:今の自分には生き方の「軸」や、迷ったときの「拠り所」となるような信念がまだまだないように感じています。まずは最初の1年の修業期間を通して目指すべき宮大工像を見つけたいです。
現在は、技術面や精神面も含めて宮大工として「何が必要なのか」すらも十分にわかっていません。1年後にはそのあたりまえの事柄がすこし見えていて、ひとつでもふたつでも、自分の武器が増えていてほしいです。知らないことばかりですが、もっと知りたい、勉強したい、高い技術を身につけたいというやる気に満ち溢れている現在の気持ちを忘れずに過ごしたいです。

渡部:これまでの経験上、新しいことをはじめてからの最初の一年というのは成長速度が速く、実感しやすいものだと思います。これまで大工経験が全くないため、例にもれず最初の一年はどんどん新しいことを吸収できるのではないかと予想しています。そのような順風満帆の時にこそかけたい言葉があります。
「汝平和を欲さば戦争に備えよ」(Si vis pacem, para bellum.)
この言葉はもともとラテン語の警句で、僕の座右の銘でもあります。一般的には「強さによる平和」という意味で使われますが、私は違う意味でこの言葉を解釈しています。
それは、「順調(平和)なときこそ、苦難(戦争)を想定して努力(備え)をしなければならない。」という意味です。
苦労しているときに頑張ることも簡単だとは思いませんが、順調なときこそ努力の重要性を忘れてしまいかねません。1年後、少しずつ仕事を覚え始めたときって、誰しも気が緩むというか、慣れからくる油断が生まれると思うんです。そんなときにこの言葉を思い出して、「備え」をし続けて行きたいと思います。

――お二人ともありがとうございました!!
横川社長から内定者へのエール
今年度は2名の新人を迎えることになりますが、1人は大学生、もう1人は大学院生という、結果的に大卒以上を複数名採用することになりました。コロナ禍で満足な学生生活を送れず苦労した分、従来の概念とは違う価値観を見出すために「匠弘堂」を選択したことでしょう。宮大工という職業は、日本文化の過去と未来を繋げるという大切な責務を担う仕事です。この意味合いを肝に銘じつつ、社内にフレッシュな空気をまき散らせて欲しいです。