2022年12月10日(土)
本記事は匠弘堂のスタッフTが龍岸寺さんで行われたイベント「塗師・伊東泰範 木製文具漆塗教室―ワタシの文具、ワタシ色に―」へ参加した内容をまとめたものです。

講師:塗師・伊東泰範(いとう やすのり)

「塗師・伊東泰範 木製文具漆塗教室―ワタシの文具、ワタシ色に―」

塗師の道具

講師:塗師・伊東泰範(いとう やすのり)
1972年京都市生まれ。 3年間のサラリーマンを経験した後、1999年に塗師の師匠に弟子入り。16年の修行を経て2015年に独立し、創 仏具漆工を創立。主に仏像・台座の新調・修復の漆塗りを担う傍ら、佛佛部のメンバーとして、仏具製作の世界をもっと身近に感じて貰えるよう活動している。
instagram/Twitter:@hajime_urushi

浄土宗三哲山龍岸寺(りゅうがんじ)
元和2年(1616年)に僧安井三哲によって開基された浄土宗寺院。近年はサブカルチャーの発信基地として数々のイベントを主催。
公式サイト:https://ryuganji.jp/
FaceBook:@kyotoryuganji
instagram/Twitter:@kyoto_ryuganji
YouTube:浄土宗龍岸寺『龍岸寺ナムナムTV』@7676tv

佛佛部(ぶつぶつぶ)
2019年11月、京都の仏具職人を中心として結成された仏具系ポップユニット「佛佛部」(部長:仏師・三浦耀山)。「仏具文化の拡張」をテーマに、旧習にとらわれることなく、培われてきた伝統の技が現代に豊かに華開くことを願って、龍岸寺(京都市下京区)を拠点に活動している。
※匠弘堂・横川在籍
公式サイト:https://ryuganji.jp/activity/butubutubu/
instagram/Twitter:@b2b2bu
YouTube:浄土宗龍岸寺『龍岸寺ナムナムTV』@7676tv

はじまりは「般若心経」―龍岸寺・池口御住職

ワークショップをはじめるにあたり、会場である龍岸寺(京都市下京区)の御本堂にて池口御住職とともに「般若心経」を唱えさせていただきました。そして佛佛部の活動や本ワークショップの開講へ至った経緯をご紹介くださりました。

御本堂で仏像や仏具に使用される本物の技法に触れて貴重な体験を迎えるわくわく感と、御本尊を前に御住職とともに読経する緊張感から、高尚なワークショップとなる予感がしました。

龍岸寺 御本堂
龍岸寺様の御本堂にて開催されました!

 伝統的手法にこだわる―塗師の仕事

木製文房具への本漆塗り体験ができる本ワークショップは、漆塗りの職人・塗師(ぬし)の仕事と、漆の特徴についての講義からはじまりました。

漆は、ウルシ(落葉樹)の木の樹液で天然樹脂塗料や接着剤として使用されます。その最大の特徴は、空気中の水分を吸収して硬化が進むことです。世に出回る多くの物質は新品の状態で強度が最も高く、時間とともに低下していきます。しかし漆は周囲の湿気・水分を吸収して硬化するため、時間の経過に応じて強度が増してゆきます。さらに耐水性、断熱性、防腐効果も長所として挙げられます。

こうした特徴から古来より仏像、食器(漆器)をはじめ様々な場面で使用されてきました。短所は紫外線に弱いことや、硬化までにとても繊細な気配りと手間・時間がかかることです。

伊東先生は、手間や時間をかけ丁寧仕上がった漆塗りだからこそ実現する価値と魅力について熱く語ってくださりました。

塗師・伊東泰範

その一例が仏像です。仏師が彫った仏像に塗師が漆塗りを施し、箔押師がその上に金箔を押す。この一連の工程で実は漆がとても重要な役割を果たしています。

例えば仏様の御身体の黄金色の輝きを表現する「箔押し」は、金箔を施した瞬間に微細なしわや凹凸が鮮明に表面に写し出されることから、下地の善し悪しが仕上がりを大きく左右します。下地がマットであれば金箔の表面もマットに、つやのある下地の場合はつやのある金箔の輝きに仕上がります。もちろん箔押師の技量も仕上りには大きく作用する肝心なポイントですが、最終的な仕上がりの鍵を握っているのは下地となる漆なのです。

さらに漆の持つ優れた防腐効果は木造の仏像を保護してくれます。しかし漆の強度にも限りはあります。経年劣化による表面のはがれや、ネズミなどが木地ごと食べてしまうといった獣害です。特に漆塗りの下地には動物性たんぱく質のにかわが使用されているため、仏像の御手やお召し物のひだは被害に遭い欠損しやすいそうです。

そんな時でも漆だからこそ実現できる修復方法があります。漆塗りは下地が水溶性のため、下地もろともきれいにはがし、欠損箇所は補修して再び塗装し直すことができます。そうすることで数百年前に仏師さんが彫った当時のお姿そのものを崩すことなく新品同様の美しさと漆による強靭なコーティングを復活させることができるのです。

こうして仏像は伝統的な手法とともに何百年もの歴史を守り継がれてきました。

そんな中で近年、より安価で短期間で施工できることから石油系塗料が広く使用されるようになりました。平滑な下地を容易に実現できるサフェーサーや、すぐに乾燥して手もかぶれることなく耐水性・耐熱性・強靭さを得られるカシュー漆です。

しかしこれらは下地の過程で石油系塗料を使用するため、一度木に塗布すると取り除くことが非常に困難となり、数十年、数百年後に仏像の修復が必要となった時には木の表面を削り取らなければいけません。表面を削るということは、数百年前に仏師さんの彫った当初のお姿はどうしても崩れてしまうということです。

手間・時間・費用・難易度から今では石油系塗料を選ばれる機会が増え、伝統的な手法を貫く仏像専門の塗師さんは恐らく日本にたったの3人ほどになってしまったといいます。
「目先の利益を優先せず、数十年・数百年後に代償を払う子孫のことを想った選択をしてほしい」
「日々の生活でより身近に漆や仏教文化に想いを馳せてほしい」
そんなメッセージを込めて、伝統的な下地処理で本漆を木製文具へ塗るワークショップを企画してくださったのです。

ありがたいお話を受け、いよいよ本漆塗り体験がはじまります。

 

本漆塗り体験

本漆塗体験のはじまり
本漆塗体験のはじまり

今回は難易度の高い下地処理は予め伊東先生が施してくださった状態の木製文具で本漆塗りを体験させていただきました。

下地処理の説明にも驚きが満載!まずは塗装する面を石で研ぎ、にかわと胡粉を混ぜた下地を塗布、さらにまた表面を研いで整える、この作業を繰り返し万全の準備を整えていきます。何層か重ね平滑に研ぐ過程で凹凸の有無を眼で見て判断できるように下地の色を少しずつ変化させるそうです。

実際に見本で見せてくださった阿弥陀如来様やお地蔵様も表面の凹凸が整えられたことが色の濃淡でよくわかりました。

こうして整えられた下地も素手で触ってしまうと、人の油分が漆を弾いてしまい仕上がった時に指紋が浮かび上がっています。触れることは衣服や空気中に浮遊しているほこりなどの付着にもつながってしまうため、「塗装する面はなるべく触らないように」との注意喚起がありました。当日は漆のかぶれ防止・指紋の付着予防で手袋をしての体験となりました。社寺建築でも素手で触ることで人の油分が木の表面に残ってしまう為、手袋をして作業を行います。異業種の職人さんとの共通点は、発見する度に嬉しくなります。

本漆の下準備もまた、ほこりや湿気・気温・時間と闘いがあります。
本漆を開封した際には、空気中の水分を吸収し硬化してゆくことを防ぐために、ラップを密着させた蓋で保管をされるそうです。ラップにも最適な種類があり、なんと分厚い「サランラップ」でないといけないそうです。

本漆塗体験の様子
漆

使用する本漆は上質な吉野紙でこしてほこりなどの不純物を取り除いてからガラスの定盤(じょうばん)へそっと取り分けてくださりました。漆は親和性も高く伸びも良いため、少量で広範囲を塗ることができます。伊東先生はお師匠さんに「貴重な漆を一滴も残すな」と教えを受け、日々大切に漆を使用されているそうです。

この時に使用する道具もそれぞれ手入れや下準備が異なり適切な手順での管理と、ほこり対策が必要になります。ガラスの定盤や専用の刷毛はテレピン油(マツヤニから抽出した洗浄液)で使用前に不純物をしごき落とし、道具からの不純物混入を防ぎます(専用の刷毛は使用後、菜種油に浸けて保管されるそうです)。

そんな専用の刷毛の毛はなんと人間の髪で作られるそうです。適度なコシとしなやかさが丁度いいのだとか。軸の中に収納されている毛束を調節することで長く使用できる特殊な構造は、ひとつひとつの道具やものを大切に使い続ける知恵に溢れていて感激しました。

専用の刷毛

ついに本漆を塗っていきます!

刷毛に染みこませた漆を塗布面に置いてゆき、少しずつ塗り広げます。「たくさん塗り重ねると表面と内部の乾燥速度に時間差が生じ、表面のしわにつながってしまうので注意してください」というお言葉に参加者は慎重に塗り進めました!慎重になりすぎて薄くなってしまう参加者もいる中で、漆らしいぽってりとしたほどよい厚みで塗り上げられる強者も!

微細なほこりや塗りむらは漆の親和性の高さによって、時間を置くと目立たないようになじんでくれます。大きなほこりやごみは針や動物の骨でできた専用の道具でひとつひとつ丁寧に取り除かれます。あまりにも深刻な場合はなんと一から塗り直すこともあるそう!

神経を研ぎ澄ませて日々漆と向き合っていらっしゃることに改めて感銘を受けました。

漆黒の漆で試し塗りを終え、いよいよ本番・文具への塗装です。漆らしい「漆黒」や「朱」の他にも「溜め漆(漆そのものの茶色)」、顔料を混ぜて造り出す「青」、「緑」も選ぶことができ、絵の具のように色を混ぜることで何種類もの色彩を表現できるということにとても驚きました!塗布した時と硬化した時では色の見え方が異なり、その変化も楽しんでほしいという説明から、多くの参加者が選んだ「紫」は「朱」と「青」を調合して好み色を自らの手で造り出します!

苦戦しながらも参加者全員が楽しく塗り上げることができ、真剣さの中にどこか穏やかな空気が調和する、心地よい体験時間となりました。

漆
漆を塗る様子
漆塗り
皿に載るカラフルな漆

参加者が塗り進める傍らで、伊東先生は塗り終えた文具を裏返したり回転させて漆が流れ落ちないように調整してくださっていました。漆の硬化には適度な湿度・温度が必要となります。実際に仏様たちへ漆を塗った時にも目を離さず温度・湿度・角度などを「室(むろ)」という硬化専用の空間で管理されるそうです。

今回塗り終えた文具もこれから2週間ほどの硬化の工程へと進みます。塗り上りから、硬化後の仕上りはどのように変化すのか非常に楽しみです!

 伝統的な手法を守り選ぶ理由

塗師・伊東泰範

塗師の仕事は、どこを切り取っても手間や時間、繊細な気配りが惜しみなく注ぎ込まれて仕上げられていることを、本漆塗り体験教室を通して垣間見ることができたように思います。想像をはるかに超える緻密な作業の数々は漆塗りに対する視界が一変し、感銘を受けました。匠弘堂が携わる社寺建築の内部で、仏像や仏具たちとともに漆が如何に力を発揮しているのか、興味惹かれる想いです。

さらにこれまで知りえなかった漆業界の実情にはとても心が揺れ動きました。社寺建築も修理ができる前提で建築・修理を行うという点から、伝統的な手法を大切にされている伊東先生の理念に共感できる部分がとても多かったです。

費用や時間を理由に不可逆的な修理方法・製造方法を選択されることが増えた現代で、手間・時間・費用の壁を乗り越えて本漆塗りや修理できる手法への理解、未来を見据えた価値ある選択が浸透することを切に願っております。

般若心経からはじまった今回のワークショップから、目先の利益にとらわれず本質を見極めた選択への重要性を改めて学びました。
貴重な経験と学びをくださった伊東先生、龍岸寺・御住職をはじめ、関わるすべての方々への感謝を込めて…合掌

塗師の道具

講師:塗師・伊東泰範(いとう やすのり)
1972年京都市生まれ。 3年間のサラリーマンを経験した後、1999年に塗師の師匠に弟子入り。16年の修行を経て2015年に独立し、創 仏具漆工を創立。主に仏像・台座の新調・修復の漆塗りを担う傍ら、佛佛部のメンバーとして、仏具製作の世界をもっと身近に感じて貰えるよう活動している。
instagram/Twitter:@hajime_urushi

浄土宗三哲山龍岸寺(りゅうがんじ)
元和2年(1616年)に僧安井三哲によって開基された浄土宗寺院。近年はサブカルチャーの発信基地として数々のイベントを主催。
公式サイト:https://ryuganji.jp/
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