2024年4月1日に、宮大工見習として入社した上野君。緊張が表情から伝わる出社2日目に、匠弘堂との出逢いや現在の気持ち、今後の抱負などを聞いてみました!


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【上野 光一(かみの こういち)プロフィール】
兵庫県出身。京都伝統工芸大学校 木彫刻専攻修了後、2024年匠弘堂に入社。

質問リスト

  • 初出社の一日
  • 宮大工を目指すきっかけ
  • 匠弘堂との出逢い
  • 学生生活について
  • 憧れの宮大工像
  • 今後の意気込み

初出社の一日

ー匠弘堂へようこそ!昨日(初出社日)はどのようなことをしましたか。

上野:代表取締役社長の横川さんと一緒に、午前中は朝礼、掃除、辞令式、会社の歴史を教えていただきました。

午後は諸手続きを済ませた後に銀閣寺へ連れて行っていただき、社寺建築の基本や見るべきポイントを学びました。
夕方には、現場から戻られた先輩数人にご挨拶という流れでした。

一日中とても緊張していましたが、初めて知ること・学ぶことがたくさんあり楽しかったです。
特に銀閣寺では、屋根中心に建築の見所を横川さんに解説いただき、今までの神社仏閣の見方と視点が全く変わりました。今後は、必ず事前に勉強をした上で、神社仏閣を訪れます!

入社初日、銀閣寺にて

宮大工を目指すきっかけ

ー宮大工という仕事を知った経緯、目指したきっかけについて教えてください。

上野:僕は子どもの頃からずっと、手を使って何かを作ることが大好きなんです。

実家が兵庫県の山合いにあるので、幼いころから木や石など、自然のものをおもちゃにして遊んでいました。

木を拾って弓矢を作ったり、石を削って石器を作ったり、ものづくりが大好きでした。
父は趣味で日曜大工をやっていて、子どもの頃は「父は大工さん」だと思っていたくらい本格的だったんです(笑)ものづくりへの興味は、父の影響を受けていると感じています。

手仕事に憧れていたので、伝統的な木造建築技術を大切にしながら手作業にこだわっている宮大工になりたいと思うようになったんです。

匠弘堂との出逢い

ー匠弘堂とはどのようにして出逢ったのですか。

上野:高校2年生の夏休みに、”就きたい職業の方に自分でアポを取り、インタビューする”というテーマの「職業インタビュー」課題が出たのですが、その際に初めて「匠弘堂」に出逢いました。


インタビューのアポを取るために、インターネットで宮大工の会社を数社調べていた中で、匠弘堂が一番しっかりとしたウェブサイトで、見ているだけで楽しくなったんです。訪問先はここにしようと決めました。
実際に匠弘堂を訪問し、社長の横川さんにお話を伺い、「高校卒業後に匠弘堂で働きたい!」と思うようになりました。

特に、岡本棟梁の「見える所は当たり前 見えない所ほど気配りをせなあかん それが建物を強固にし 百年、二百年と美しさを保つことができるんや解体しても恥ずかしぃない仕事をせなあかん」という教えが胸に深く刺さり、課題発表の時には職業インタビューというより、匠弘堂の理念や棟梁の言葉を熱く語りすぎて、テーマからはみ出すほどでした(笑)

学生生活について

ー高校卒業後に宮大工になると決められたのですね。その後大学に進まれたのはどうしてですか。

上野:卒業後は匠弘堂に就職したいと考えていたのですが、進路指導の先生に相談したところやんわりと反対されました。というのも、過去に卒業生で宮大工になった方が、その厳しさから半年で辞めたそうで、僕を心配してのことでした。
匠弘堂とは別の会社だそうですが…

でも、それを聞いても気持ちは変わらず、高校3年時には工務店さんへインターンにも行きました。

今振り返ると、反対されて少しムキになっていたかもしれませんね。

両親は、宮大工になることを応援してくれていたのですが、
そんな僕を見ていて、ある日「こんな学校があるみたいだよ。」と、京都伝統工芸大学校を紹介してくれました。

ー伝統工芸の技を学ぶことができ、ものづくりのプロを目指せる大学ですね。

はい。手仕事は好きでしたし、まず大学オープンキャンパスに行ってみたんですが、そこで「木彫刻」と出会ったんです。

僕の祖母の家に、素敵な欄間(らんま)があるんですが、物心ついた時からその欄間が好きで、兄弟やいとこ達と雑魚寝をするときに、いつもぼーっと眺めていました。
木工芸専攻と木彫刻専攻どちらにするか悩みましたが、そんな原体験もあり「木彫刻を学びたい」と思い入学することに決めました。
木彫刻専攻は、作品制作の自由度が高いと聞いていたので、それも決め手でしたね。

2年時課題『宝相華』

ー4年間、木彫刻専攻で技を磨くことにしたのですね!学生生活はいかがでしたか。

上野:とても学びになりましたし、楽しかったです。
何より、渡邊宗男先生、山本孝子先生という「恩師」に出逢えたことが、本当に幸せでした。

先生は、伝統工芸士・京の名工でもある方で、考え方、作品、人柄、全てが本当に素晴らしいんです。先生のお話しを聞くだけでやる気がみなぎってくるような、そんな存在です。

木彫刻専攻は、授業の自由度が高く、課題ももちろんあるのですが、4年間で課題以外にもたくさん好きなものを制作させてもらえました。


課題以外の作品制作についても、先生が全力でサポートして、お手本まで見せてくれるんです。
プロの手仕事を間近で見て教わることができ、本当に贅沢な時間でした。

匠弘堂代表取締役社長 横川

実は上野君がまだ在学中の昨年12月に、京都伝統工芸大学校に行ってきました。
目的はご指導していただいた先生へのご挨拶と上野君の卒業製作の進捗状況の確認でした。
先生方と少しお話ししただけですが、学生さんに対する愛情こもった日常のご指導ぶりが感じ取れました。それは学生さんの作品を見てもわかります。
個性を大切にしながら的確な技術指導をされている。私も大いに学ばせていただきました。
肝心の上野君の方は、進み具合がかなり心配になりましたね(笑)

上野:授業が終わった放課後は、同期の仲間と課題をしたり遊んだりして過ごしました。

独自の世界観を持ったユニークな人が多く、楽しかったです。
美術や芸術専攻出身の学生が多く、刺激も受けながら切磋琢磨していましたね。
僕の高校は芸術系ではなかったので、入学してからは特にデッサンに苦戦しました…。

水性樹脂で制作したキリン
3年の修了制作『窮鼠助けを求む』
卒業修了制作作品『龍の骨格標本』

ーとっても充実した学生生活だったのですね!そのまま木彫刻の道へ進むことも考えましたか。

上野:はい。そのように考えたこともありました。
でも、自分が社会に出て何をしたいか考えたときに「実用性のある、身近なものを作りたい」と思い、やはり宮大工の道へ進もうと決めました。

木彫刻は、装飾という役割が大きく、実用性のあるものづくりは難しく、なくても支障がないと思ってしまったんです。
僕は「からくり」にも興味があり、実際にそのような作品も制作していました。木工にも興味があったことも、身近なものを作りたいと思った理由かもしれませんね。


宮大工であれば、木彫刻の経験も活かし、身近なものを作ることができるので、自分のやりたいことそのものだなと。

ーそして、匠弘堂の宮大工募集に応募することになったのですね。

上野:そうなんです。まずは、会社訪問をした後に選考へと進みました。

初めて横川さんとお話してから5年ほど経っていましたが、改めて良い会社だと感じました。
ここで働きたいという気持ちは、全く変わっていませんでした。

大学で4年間ものづくりをしている時も、岡本棟梁の「見える所は当たり前 見えない所ほど気配りをせなあかん」という教えを心に留めて、励んできました。
匠弘堂のウェブサイトも、何度も覗いていて、その度に気持ちが奮い立っていたんですよ。

匠弘堂代表取締役社長 横川

こんな風に匠弘堂のウェブサイトを見てくれていたなんて、嬉しいですね。
これまで事あるごとに記事をアップし更新してきて、本当に良かったです。私も少し勇気をもらえました。宮大工のことを、若い人たちだけでなく、より沢山の人に知ってもらえるよう、これからも継続していきたいですね。

憧れの宮大工像

ー晴れて採用となり、宮大工見習いとしての日々が始まりましたね。どんな宮大工になりたいですか。

上野:まずはたくさん経験を積みたいですね。
憧れという意味では、棟梁の有馬さんの仕事に感動しました。

匠弘堂の採用試験の三次選考では、1週間先輩方と現場に出て作業をするんです。

僕は、宝積寺さんの根継ぎ作業に立ち会ったのですが、その際猿渡さん(当時入社1年目)が刻みをしていたんですね。
休憩中に、有馬さんがお手本を見せてくれたんですが、猿渡さんが少しずつ慎重に刻んでいた箇所を、ストンと一瞬で落として仕上げたんです!
迷いのない刃の入れ方、無駄のない動きでした。

匠弘堂二代目棟梁・有馬

それを見た瞬間、「すごい!」と、感動で体が震えました。
大学の恩師の作品を初めて見た時と、同じ感覚でしたね。「有馬棟梁と一緒に働きたい」と、強く思いました。

ー震えるほどの感動だったんですね!まだ入社して2日ですが、楽しみにしていることはありますか。

上野:工事の工程全体に関われることが、本当に楽しみです。
三次選考中に、宝積寺さんのことを調べたのですが、大変深い歴史のあるお寺で、ぜひ完成まで携わりたい!!と思っていました。1週間だけだったので、もちろんそれは叶わず悔しい思いをしたのですが…


今後は、自分が担当する現場で、着手から完成まで携わることができるようになるので嬉しいです!

ー宮大工としての働き方は、厳しさもありますが、その点いかがですか。基本的には週一日のお休みですし、先輩との関わり方など、不安はありますか。

上野:不安はありますが、好きなことを仕事にできて嬉しい気持ちが大きいです。
学生時代は1人暮らしでお金もかかるので、週末はアルバイトをしなくてはいけませんでした。でも匠弘堂では、月~土は好きなことをしながらお給料もいただけて、1日お休みもあるという状況なので、僕にとっては願ったり叶ったりなんです。本当にありがたいですし、幸せだと思っています。

木を手にすると、ニコニコ笑顔に!

先輩方については、三次選考で現場でご一緒させていただいた方は、みなさんとても柔らかく接してくれました。匠弘堂に出会うまでは、職人さんは気難しく年配の方が多いイメージだったんですけど…。
現場では、棟梁の有馬さんがたくさん話しかけてくださり、1年先輩の猿渡さん、渡部さんも話しやすかったです。

もちろん仕事では厳しさもあると思いますが、とてもメリハリがあると感じました。

今後の意気込み

ーありがとうございます。最後に、意気込みをどうぞ!

上野:木彫刻で鋸(のこ)や鑿(のみ)という道具には触れていたとはいえ、宮大工の仕事や社寺建築の知識は一から勉強しなくてはいけません。

高校では、どちらかというと勉強よりも工芸・音楽・書道などに力を入れてきました。宮大工には数学の知識も必須なので、その勉強も人一倍頑張ります。
僕は、自他ともに認める「負けず嫌い」なので、早く先輩方に追いつけるよう日々経験を積んで学んでいきます!

匠弘堂代表取締役社長 横川

2次選考の面接時に強く感じた才能『立体をとらえる能力』が本モノかどうか、私にとっても大きなかけとなります。建築ではなく工芸の技を習得する学校からの初めての採用となるので、本人がどのように成長してくれるか大変楽しみな面も。
持ち前の真面目さと負けん気をいかんなく発揮して、社内をかき回して欲しいですね。
期待しています!