- 1994年
- 高校を卒業してすぐに京都の大手社寺建築の会社に就職
- 2012年
- 宮大工としてのキャリアを積んだあと、スキルアップを目指して独立
- 2012年
- 一緒に現場に立った有馬棟梁の誘いで匠弘堂入社
小滝 純
プロフィール
1976生まれ、兵庫県美方郡出身、AB型、動物占いはこじか。
特技・趣味
魚釣り
宮大工歴25年のベテランである小滝は、副棟梁として匠弘堂の若き職人たちを束ねる重要な存在。よい仕事をするために欠かせない「コミュニケーション」の大切さについて、自身が実践していることと、若手に伝えたいことを語ってくれました。
「とにかく手に職をつけたい」と志した宮大工の道
はじめまして、兵庫県出身の宮大工、小滝 純です。プライベートでは二児の父で、趣味は釣りです。
私は父が大工、叔父も大工という環境で育ったので、物心ついたときから自然と、「自分も大工になりたい」と考えていたような気がします。10代はバブル崩壊後の時期だったこともあり、とにかく手に職をつけようと、高校を卒業してすぐに京都の大手社寺建築の会社に就職をしました。
そこで宮大工としてのキャリアを10年以上積んだあと、スキルアップを目指して独立。しばらく、フリーの宮大工として仕事をしていました。
若くエネルギッシュな匠弘堂に、直感で飛び込んだ
匠弘堂との出会いは、独立してすぐのことです。
京都にある天光会さんの本殿の新築工事に、ヘルプとして呼んでもらいました。そこで初めて、有馬棟梁や高橋副棟梁とお会いしたんです。
棟梁、副棟梁も私もそんなに口数が多いほうではないので、すぐに意気投合して……というわけではなかったのですが(笑)、そのときはただ、「若いメンバーが多くてエネルギッシュな、いい会社だなあ」という印象を持ちました。
それからほどなくして、有馬棟梁から「うちで一緒にやらないか」と誘われたんです。迷いもありましたが、「この人たちと一緒なら、面白い仕事ができるかもしれない」という自分の直感を信じて、2013年、匠弘堂への入社を決意しました。
「自分のやり方にこだわらない」というこだわり
匠弘堂に入社して最初の現場は、沖縄県・首里城 奥書院の復元工事。世界遺産にも登録されている歴史的価値の高い建物ですし、新しいメンバーとの初めての仕事ということで、緊張しました。
最初の会社で10年以上修行して身につけた「自分の仕事のスタイル」はもちろんあったのですが、それにこだわらないようにしよう、と当時よく考えていたのを覚えています。
いま、自分が働いているのは若い大工が集う匠弘堂で、ここにはここの仕事の「流儀」がある。中途で入社した立場として、それをきちんと汲み取ろう、ということは強く意識しました。
入社して最初に気づいたのは、匠弘堂には、「みんなで協力する」という文化が強く根づいているんだなということでした。
現場での仕事はもちろん、宿舎の掃除や料理といったことに関しても、「若手だからこれをやれ」みたいな空気があまりない。フリーの時代に見てきた宮大工の会社の中には、いわゆる丁稚奉公というか、若手を奴隷のように扱うところもあったので、匠弘堂のこのスタイルは新鮮でした。
仕事のときもそうでなくても、お互いが気持ちよくコミュニケーションをとれるように配慮し合えるのが匠弘堂のよさです。これはすごくいい空気だなと感じて、私もすぐに溶け込むことができました。
若い職人たちに求めるのは、「踏み込む勇気」
いま、私は匠弘堂の副棟梁として、若い大工たちを指導する立場です。指導においていちばん大切にしているのは、「踏み込む勇気」を持ってもらうことです。
たとえば、先輩からの指示に後輩が「はい!」と元気よく返事をしてくれたとしても、実は内容が全然伝わっていなかった……ということってよくありますよね。
もちろん、伝える側の努力は必要なので、私も「本当に伝わっているかな」と注意を払いながらコミュニケーションをとっています。それでも、受け手に「はい!」と言われると、それを信頼して任せるしかなくなってしまう。
だから、自分でもなるべく聞き返してもらえるような空気を作りつつ、「もし分からないことがあったら何度でも聞いてくれ」というのを若手に伝え、コミュニケーションの行き違いを解消するよう心がけています。
先輩に聞き返すのって、たしかに最初は少し怖いと思います。でも、そこで一歩踏み込むことによって、初めていい仕事ができる。宮大工に限らず、若くして職人の道を志す若い人たちには、こういう勇気を持ってほしいなと思っています。
しんどい日のほうがはるかに多い。それでも宮大工をする理由
私が宮大工になってから、もうすぐ25年が経ちます。最初は、まさか自分がこんなに長く大工をやることになるとは思っていませんでした(笑)。
宮大工の仕事は(どんな仕事でも同じだと思いますが)正直、大変なことやしんどいことのほうが多いです。それでも私がここまでやってこられたのは、建物が完成したときに、施主さまや檀家さま、門信徒さまから頂戴する感謝の言葉が嬉しいからです。
匠弘堂では、「50年に一度、100年に一度の貴重な機会を思い出深いものにしてほしい」という横川社長の考えもあり、頻繁に現場の見学会や説明会を開催しています。
現場で仕事をしていると、見学会にいらっしゃった方が「お寺のこんな部分を初めて見ました」「こんなふうに工事をされるんですね」と驚いてくださっている声が聞こえるんですよね。「いつもお疲れさまです、ありがとう」と感謝の言葉をいただくことも珍しくありません。
そういうとき、「ああ、宮大工になってよかったな」と心から思います。
今後の意気込み
50年に一度、100年に一度の貴重な機会を大切にする